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第3弾 九州熊本 -20年かけて修復に取り組む熊本城-

新着情報
「Life is a journey」第3弾 九州 熊本オープン。

いまこそ熊本城 日本屈指の名城の 今しか見られない姿を目指す旅へ

なぜいま熊本城?

平成28年熊本地震で甚大な被害を受けた熊本城。
「完全な姿でないなら観光には適さないかな・・・」と、お考えの方がいらっしゃるとしたら、それは大きな誤解です。まず、地震の爪痕を目の当たりにすることはかなり衝撃的な体験です。でもそれだけではありません。石垣は崩落して内部をさらけ出しているからこそ、その構造を目で理解できます。天守閣や櫓が無残に壊れているからこそ、その本来の姿を人は真剣に思い描こうとします。日本が誇る歴史的建造物である「城」を、古臭い遺物ではなく先人たちの血と汗の結晶としてリアルに感じられる絶好の機会がいま、そこにあるのです。

熊本城に行く前に 知ってほしいモン これが熊本城ばい・修復ば見にきなっせ

これが熊本城ばい

天正16(1588)年、豊臣秀吉から肥後国の北半分を与えられた加藤清正は、現在とは別の場所にあった「隈本城」に入城。築城名人の清正は、現在の場所に新しい城を築く構想を練りますが、2度にわたる朝鮮出兵などもあって、なかなか計画は進みませんでした。慶長3(1598)年、秀吉の死去により朝鮮から帰国した清正は築城に着手。 慶長5(1600)年、関ケ原の戦いでの戦功により徳川家康から肥後一国を与えられ、52万石の大名となる頃には本格的な工事が始まり、慶長12(1607)年には本丸が完成。
その時に「隈本城」から「熊本城」へと名前も変えられました。

加藤清正像

加藤清正像

徹底した防衛

熊本城は、北・東・南の三方が自然の断崖とそれを利用した高石垣で守られ、台地とつながる西側にも大規模な堀を二重に設けて防御した自然の要害です。
それに加え、朝鮮出兵の際の籠城戦で筆舌に尽くしがたい苦難に遭い辛酸をなめた清正は、過剰と思えるほどの徹底した防御策を講じています。例えば南側からの侵入者に対しては、最初に「枡形」と呼ばれるクランク状の通路を設けて敵を全方位から攻撃し、そこを突破されたとしても6度折れ曲がって階段を3つ上る通行困難な通路を用意。
さらに天守閣へ行くには、敵を待ち受けるのに絶好の「くらがり通路」という真っ暗な地下通路を通らなければならないという徹底ぶりです。

西郷どんも撤退

明治10年(1877)、熊本城は初めて戦いの舞台となります。
鹿児島の不平士族が西郷隆盛を擁して反乱を起こした西南戦争が勃発したのです。薩軍は、熊本城にある熊本鎮台(陸軍)を奪おうと包囲しましたが、司令長官の谷干城たに・たてきは籠城戦を選択。50日以上たっても熊本城は落ちませんでした。
加藤清正が徹底した防御策を講じた熊本城は、築城から270年後にその真価を証明したのです。撤退を余儀なくされた西郷どんは、「おいどんは官軍に負けたのではなか。清正公に負けたんじゃ」とつぶやいたとか。 加藤清正像
加藤清正像

九州地図

修復を見に来なっせ!

2016年4月14日21時26分、M(マグニチュード)6.5の激しい揺れが熊本県と大分県を襲いました。
そしてそのショックもさめやらぬ同月16日1時25分、M7.3の大地震が再び同地方を直撃。これが本震でした。被害は甚大で、熊本県内の死者は246人、住宅被害は全壊12,525棟を含む211,171棟におよんでいます。
熊本県民・市民の誇りである熊本城も、13棟の重要文化財建造物がすべて被災。最も被害が大きかったのは石垣で、約30万個あるといわれる石垣の石のうち、3分の1にあたる約10万個が崩れています。
現在、本丸をはじめとする城内にはほぼ全域入れないので、見学は城の外側からになります。地震後、周囲24カ所に案内板が設置されており、熊本城をぐるっと一周して見学できるようになっています。ゆっくり回ると2時間近くかかるほど広大な熊本城。初めて訪れるなら、ボランティアガイドの方に案内してもらうのがおすすめです。

熊本城の様子

被災前
  • 被災前の熊本城01
    天下三名城のひとつとも称される熊本城。そのシンボルが大小二つの天守閣ですが、築城時のものは西南戦争の直前に焼け落ちています。現在の天守は昭和35年に再建された鉄筋コンクリート製です。
    熊本城の見どころとして挙げられるのが、台地の高低差を生かした高石垣です。熊本城の石垣は、裾がゆるやかなカーブを描き、最上部でほぼ垂直になる「清正流石垣」(「武者返し」とも呼ぶ)が有名です。
    城への侵入者を警戒したり、敵を弓矢や鉄砲で狙うための櫓(やぐら)が多いのも熊本城の特徴です。築城時は、一般的な城なら天守に相当する高さの五階櫓が6基、二重櫓や平櫓を含めると全部で66基もの櫓群が林立していたといわれています。
  • 被災前の熊本城02
    天下三名城のひとつとも称される熊本城。そのシンボルが大小二つの天守閣ですが、築城時のものは西南戦争の直前に焼け落ちています。現在の天守は昭和35年に再建された鉄筋コンクリート製です。
    熊本城の見どころとして挙げられるのが、台地の高低差を生かした高石垣です。熊本城の石垣は、裾がゆるやかなカーブを描き、最上部でほぼ垂直になる「清正流石垣」(「武者返し」とも呼ぶ)が有名です。
    城への侵入者を警戒したり、敵を弓矢や鉄砲で狙うための櫓(やぐら)が多いのも熊本城の特徴です。築城時は、一般的な城なら天守に相当する高さの五階櫓が6基、二重櫓や平櫓を含めると全部で66基もの櫓群が林立していたといわれています。
  • 被災前の熊本城03
    天下三名城のひとつとも称される熊本城。そのシンボルが大小二つの天守閣ですが、築城時のものは西南戦争の直前に焼け落ちています。現在の天守は昭和35年に再建された鉄筋コンクリート製です。
    熊本城の見どころとして挙げられるのが、台地の高低差を生かした高石垣です。熊本城の石垣は、裾がゆるやかなカーブを描き、最上部でほぼ垂直になる「清正流石垣」(「武者返し」とも呼ぶ)が有名です。
    城への侵入者を警戒したり、敵を弓矢や鉄砲で狙うための櫓(やぐら)が多いのも熊本城の特徴です。築城時は、一般的な城なら天守に相当する高さの五階櫓が6基、二重櫓や平櫓を含めると全部で66基もの櫓群が林立していたといわれています。
  • 被災前の熊本城04
    天下三名城のひとつとも称される熊本城。そのシンボルが大小二つの天守閣ですが、築城時のものは西南戦争の直前に焼け落ちています。現在の天守は昭和35年に再建された鉄筋コンクリート製です。
    熊本城の見どころとして挙げられるのが、台地の高低差を生かした高石垣です。熊本城の石垣は、裾がゆるやかなカーブを描き、最上部でほぼ垂直になる「清正流石垣」(「武者返し」とも呼ぶ)が有名です。
    城への侵入者を警戒したり、敵を弓矢や鉄砲で狙うための櫓(やぐら)が多いのも熊本城の特徴です。築城時は、一般的な城なら天守に相当する高さの五階櫓が6基、二重櫓や平櫓を含めると全部で66基もの櫓群が林立していたといわれています。
  • 被災前の熊本城01
  • 被災前の熊本城02
  • 被災前の熊本城03
  • 被災前の熊本城04
天下三名城のひとつとも称される熊本城。そのシンボルが大小二つの天守閣ですが、築城時のものは西南戦争の直前に焼け落ちています。現在の天守は昭和35年に再建された鉄筋コンクリート製です。
熊本城の見どころとして挙げられるのが、台地の高低差を生かした高石垣です。熊本城の石垣は、裾がゆるやかなカーブを描き、最上部でほぼ垂直になる「清正流石垣」(「武者返し」とも呼ぶ)が有名です。
城への侵入者を警戒したり、敵を弓矢や鉄砲で狙うための櫓(やぐら)が多いのも熊本城の特徴です。築城時は、一般的な城なら天守に相当する高さの五階櫓が6基、二重櫓や平櫓を含めると全部で66基もの櫓群が林立していたといわれています。
被災直後 2016年4月
  • 被災直後の熊本城01
    今回の地震では、973面(約79,000㎡)の石垣のうち229面(約8,200㎡)の石垣が崩落しました。緩みや膨らみがある517面(約23,600㎡)も積み直す必要があるといいます。また、大天守の瓦がほぼすべて落ち、櫓など7棟が倒壊しました。なかでも、縦一列の角石だけで持ちこたえた「奇跡の一本石垣」として飯田丸五階櫓が有名になりましたが、そのままでの修復は難しかったため現在は撤去されています。
    被災した熊本城だからこそ気がつくこともあります。崩れ落ちた石をよく見てみると、大きくて角ばった築石と、それより小さなグリ石に大別できます。石垣は、内側から順に地山→盛土→(小さ目の)グリ石→築石(石垣表面)という構造になっているのです。それを見ると、重機などない時代に石垣を造った昔の石積み職人たちの苦労に思いをはせずにはいられません。
  • 被災直後の熊本城02
    今回の地震では、973面(約79,000㎡)の石垣のうち229面(約8,200㎡)の石垣が崩落しました。緩みや膨らみがある517面(約23,600㎡)も積み直す必要があるといいます。また、大天守の瓦がほぼすべて落ち、櫓など7棟が倒壊しました。なかでも、縦一列の角石だけで持ちこたえた「奇跡の一本石垣」として飯田丸五階櫓が有名になりましたが、そのままでの修復は難しかったため現在は撤去されています。
    被災した熊本城だからこそ気がつくこともあります。崩れ落ちた石をよく見てみると、大きくて角ばった築石と、それより小さなグリ石に大別できます。石垣は、内側から順に地山→盛土→(小さ目の)グリ石→築石(石垣表面)という構造になっているのです。それを見ると、重機などない時代に石垣を造った昔の石積み職人たちの苦労に思いをはせずにはいられません。
  • 被災直後の熊本城03
    今回の地震では、973面(約79,000㎡)の石垣のうち229面(約8,200㎡)の石垣が崩落しました。緩みや膨らみがある517面(約23,600㎡)も積み直す必要があるといいます。また、大天守の瓦がほぼすべて落ち、櫓など7棟が倒壊しました。なかでも、縦一列の角石だけで持ちこたえた「奇跡の一本石垣」として飯田丸五階櫓が有名になりましたが、そのままでの修復は難しかったため現在は撤去されています。
    被災した熊本城だからこそ気がつくこともあります。崩れ落ちた石をよく見てみると、大きくて角ばった築石と、それより小さなグリ石に大別できます。石垣は、内側から順に地山→盛土→(小さ目の)グリ石→築石(石垣表面)という構造になっているのです。それを見ると、重機などない時代に石垣を造った昔の石積み職人たちの苦労に思いをはせずにはいられません。
  • 被災直後の熊本城04
    今回の地震では、973面(約79,000㎡)の石垣のうち229面(約8,200㎡)の石垣が崩落しました。緩みや膨らみがある517面(約23,600㎡)も積み直す必要があるといいます。また、大天守の瓦がほぼすべて落ち、櫓など7棟が倒壊しました。なかでも、縦一列の角石だけで持ちこたえた「奇跡の一本石垣」として飯田丸五階櫓が有名になりましたが、そのままでの修復は難しかったため現在は撤去されています。
    被災した熊本城だからこそ気がつくこともあります。崩れ落ちた石をよく見てみると、大きくて角ばった築石と、それより小さなグリ石に大別できます。石垣は、内側から順に地山→盛土→(小さ目の)グリ石→築石(石垣表面)という構造になっているのです。それを見ると、重機などない時代に石垣を造った昔の石積み職人たちの苦労に思いをはせずにはいられません。
  • 被災直後の熊本城01
  • 被災直後の熊本城02
  • 被災直後の熊本城03
  • 被災直後の熊本城04
今回の地震では、973面(約79,000㎡)の石垣のうち229面(約8,200㎡)の石垣が崩落しました。緩みや膨らみがある517面(約23,600㎡)も積み直す必要があるといいます。また、大天守の瓦がほぼすべて落ち、櫓など7棟が倒壊しました。なかでも、縦一列の角石だけで持ちこたえた「奇跡の一本石垣」として飯田丸五階櫓が有名になりましたが、そのままでの修復は難しかったため現在は撤去されています。
被災した熊本城だからこそ気がつくこともあります。崩れ落ちた石をよく見てみると、大きくて角ばった築石と、それより小さなグリ石に大別できます。石垣は、内側から順に地山→盛土→(小さ目の)グリ石→築石(石垣表面)という構造になっているのです。それを見ると、重機などない時代に石垣を造った昔の石積み職人たちの苦労に思いをはせずにはいられません。
最近(今後の修復)
  • 現在の熊本城01
    城の内外には崩れた石の置き場があり、整然と並べられた石には番号が振ってあります。元の面に積み直すため本籍を書いておくわけです。石を元の場所に戻すには、画像処理システムを使って写真データなどを分析し、石の位置を特定する作業を行います。最新テクノロジーと石を積み直す石工さんの技術、知恵・工夫を総動員して長い年月をかけて元に戻していくわけです。
    熊本市は2019年の10月には大天守の外観修理を終え、同月5日から工事のない日曜・祝日限定で天守閣エリアを一般公開する予定です。その半年後の2020年春には歩道橋のような仮設通路を本丸御殿まで通し、平日にも天守閣の前まで行けるようにします。さらに1年後の2021年春には小天守も完成し、以前はなかったエレベーターで車椅子の人でも内部を見学できるようになります。
    ただ、城全体が元通りになるのは2038年度の予定で、約20年かけての復旧になります。完成までに何度か訪れて、天下の名城が再生する姿を見届ける歴史の証人になってみるのも意義深いかもしれません。
  • 現在の熊本城02
    城の内外には崩れた石の置き場があり、整然と並べられた石には番号が振ってあります。元の面に積み直すため本籍を書いておくわけです。石を元の場所に戻すには、画像処理システムを使って写真データなどを分析し、石の位置を特定する作業を行います。最新テクノロジーと石を積み直す石工さんの技術、知恵・工夫を総動員して長い年月をかけて元に戻していくわけです。
    熊本市は2019年の10月には大天守の外観修理を終え、同月5日から工事のない日曜・祝日限定で天守閣エリアを一般公開する予定です。その半年後の2020年春には歩道橋のような仮設通路を本丸御殿まで通し、平日にも天守閣の前まで行けるようにします。さらに1年後の2021年春には小天守も完成し、以前はなかったエレベーターで車椅子の人でも内部を見学できるようになります。
    ただ、城全体が元通りになるのは2038年度の予定で、約20年かけての復旧になります。完成までに何度か訪れて、天下の名城が再生する姿を見届ける歴史の証人になってみるのも意義深いかもしれません。
  • 現在の熊本城03
    城の内外には崩れた石の置き場があり、整然と並べられた石には番号が振ってあります。元の面に積み直すため本籍を書いておくわけです。石を元の場所に戻すには、画像処理システムを使って写真データなどを分析し、石の位置を特定する作業を行います。最新テクノロジーと石を積み直す石工さんの技術、知恵・工夫を総動員して長い年月をかけて元に戻していくわけです。
    熊本市は2019年の10月には大天守の外観修理を終え、同月5日から工事のない日曜・祝日限定で天守閣エリアを一般公開する予定です。その半年後の2020年春には歩道橋のような仮設通路を本丸御殿まで通し、平日にも天守閣の前まで行けるようにします。さらに1年後の2021年春には小天守も完成し、以前はなかったエレベーターで車椅子の人でも内部を見学できるようになります。
    ただ、城全体が元通りになるのは2038年度の予定で、約20年かけての復旧になります。完成までに何度か訪れて、天下の名城が再生する姿を見届ける歴史の証人になってみるのも意義深いかもしれません。
  • 現在の熊本城04
    城の内外には崩れた石の置き場があり、整然と並べられた石には番号が振ってあります。元の面に積み直すため本籍を書いておくわけです。石を元の場所に戻すには、画像処理システムを使って写真データなどを分析し、石の位置を特定する作業を行います。最新テクノロジーと石を積み直す石工さんの技術、知恵・工夫を総動員して長い年月をかけて元に戻していくわけです。
    熊本市は2019年の10月には大天守の外観修理を終え、同月5日から工事のない日曜・祝日限定で天守閣エリアを一般公開する予定です。その半年後の2020年春には歩道橋のような仮設通路を本丸御殿まで通し、平日にも天守閣の前まで行けるようにします。さらに1年後の2021年春には小天守も完成し、以前はなかったエレベーターで車椅子の人でも内部を見学できるようになります。
    ただ、城全体が元通りになるのは2038年度の予定で、約20年かけての復旧になります。完成までに何度か訪れて、天下の名城が再生する姿を見届ける歴史の証人になってみるのも意義深いかもしれません。
  • 現在の熊本城01
  • 現在の熊本城02
  • 現在の熊本城03
  • 現在の熊本城04
城の内外には崩れた石の置き場があり、整然と並べられた石には番号が振ってあります。元の面に積み直すため本籍を書いておくわけです。石を元の場所に戻すには、画像処理システムを使って写真データなどを分析し、石の位置を特定する作業を行います。最新テクノロジーと石を積み直す石工さんの技術、知恵・工夫を総動員して長い年月をかけて元に戻していくわけです。
熊本市は2019年の10月には大天守の外観修理を終え、同月5日から工事のない日曜・祝日限定で天守閣エリアを一般公開する予定です。その半年後の2020年春には歩道橋のような仮設通路を本丸御殿まで通し、平日にも天守閣の前まで行けるようにします。さらに1年後の2021年春には小天守も完成し、以前はなかったエレベーターで車椅子の人でも内部を見学できるようになります。
ただ、城全体が元通りになるのは2038年度の予定で、約20年かけての復旧になります。完成までに何度か訪れて、天下の名城が再生する姿を見届ける歴史の証人になってみるのも意義深いかもしれません。

熊本城から足を伸ばすなら 阿蘇エリア

見どころの多い熊本県の中でもひときわ人気の観光地が阿蘇エリアです。

地震の影響でいまも閉鎖中の道路や工事中の橋などもありますが、徐々に道路は開通し、
迂回ルートを使えば主要観光地に行くのに支障はありません。
雄大な自然に包まれた絶景に、思いっきり感動して下さい。

大観峰
大観峰

阿蘇カルデラを形成する外輪山の北に位置し、標高936mの最高峰なので360度の大パノラマを満喫できます。
ここから眺める阿蘇五岳は、左の根子岳が顔、隣の高岳が胸というように仏様が横たわった姿に見えると評判。

トロッコ列車/南阿蘇鉄道
トロッコ列車/南阿蘇鉄道

雄大な風景を満喫できる南阿蘇鉄道も震災の被害に遭い、現在は高森駅~中松駅 間のみ開通しています。日本一小さい機関車がけん引する観光トロッコ列車「ゆうすげ号」は、土・日・祝日と春休み・夏休み期間中のみの運行(1日2~3往 復)ですが、のんびり旅が大人気!

荒涼とした惑星のような山頂に登ると、エメラルドグリーンの湯だまりから上がる白い噴煙が見えます。阿蘇はいまなお火山活動を行っているのです。
火山ガスの発生状況次第では立ち入り禁止になることもあるので、事前に調べた方がいいでしょう。

中岳第一火口
中岳第一火口
西湯裏園地展望所
西湯裏園地展望所

まるで天空へ続く道のように見えるのがこの展望所で、ファンタジーノベルに出てきそうな素敵な場所です。ミルクロードと菊池阿蘇スカイラインが交差する場所にあるレストランの裏手にあります。

草千里ヶ浜
草千里ヶ浜

烏帽子岳えぼしだけの中腹にある広大な草原地帯。四季折々でその姿を変えるので、行くたびに印象が変わるかも。馬に乗って散策するのも楽しそうです。

米塚
米塚
牛

全体が牧草に覆われた高さ80mのかわいい山は、人工物のような優美な形をしています。頂上に噴火口のなごりの窪みがあることから、元は火山だったことがわかります。

鍋ヶ滝
鍋ヶ滝

滝の落差は10mほどですが、幅が約20mほどあり、流れ落ちる水がカーテンのような優美な姿を見せています。裏側に回って滝を眺めることもできるので、「裏見の滝」とも言われています。

上色見熊野座神社
上色見熊野座神社

杉の木が林立する中にある参道には100基近くの苔むした石灯籠が並び、まるで異世界への入り口のようです。社殿後方には『合格・必勝』のご利益があるといわれる穿戸岩うげといわ穿戸岩うげといわもあります。

熊本県、とりわけ阿蘇は豊富な湧水で有名ですが、その中でも最も代表的な水源。吉見神社の境内にあって、毎分60トンと豊富な湧水量を誇り、熊本市内を流れる白川の水源地でもあります。環境省選定の名水百選にも選ばれています。

白川水源
白川水源

その他オススメ特約店

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九州地図
①割烹 火の国 ②三井ガーデンホテル熊本 ③阿蘇プラザホテル ④博多 華味鳥 天神店 ⑤大丸 福岡天神 ⑥ホテルJALシティ宮崎 ⑦フェニックスカントリークラブ ⑧ホテル日航大分 オアシスタワー ⑨ハウステンボス ⑩SAKODA
①割烹 火の国 ②三井ガーデンホテル熊本 ③阿蘇プラザホテル ④博多 華味鳥 天神店 ⑤大丸 福岡天神 ⑥ホテルJALシティ宮崎 ⑦フェニックスカントリークラブ ⑧ホテル日航大分 オアシスタワー ⑨ハウステンボス ⑩SAKODA
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