

2016年の熊本地震で甚大な被害を受けた熊本城。
2020年には特別見学通路が完成し、2021年には天守閣が復旧しました。
全面復旧に向けて着実に歩みを進めていますが、崩壊した石垣や倒壊した建造物が多く、完全復旧は2052年度の予定です。特に石垣は、石ひとつひとつを元あった場所にそっくり元通りに戻さなくてはなりません。
日本が誇る歴史的建造物である「城」を、古臭い遺物ではなく先人たちの血と汗の結晶としてリアルに感じられる絶好の機会がいま、そこにあるのです。

天正16(1588)年、豊臣秀吉から肥後国の北半分を与えられた加藤清正は、現在とは別の場所にあった「隈本城」に入城。築城名人の清正は、現在の場所に新しい城を築く構想を練りますが、2度にわたる朝鮮出兵などもあって、なかなか計画は進みませんでした。慶長3(1598)年、秀吉の死去により朝鮮から帰国した清正は築城に着手。慶長5(1600)年、関ケ原の戦いでの戦功により徳川家康から肥後一国を与えられ、52万石の大名となる頃には本格的な工事が始まり、慶長12(1607)年には本丸が完成。
その時に「隈本城」から「熊本城」へと名前も変えられました。

加藤清正像
熊本城は、北・東・南の三方が自然の断崖とそれを利用した高石垣で守られ、台地とつながる西側にも大規模な堀を二重に設けて防御した自然の要害です。
それに加え、朝鮮出兵の際の籠城戦で筆舌に尽くしがたい苦難に遭い辛酸をなめた清正は、過剰と思えるほどの徹底した防御策を講じています。例えば南側からの侵入者に対しては、最初に「枡形」と呼ばれるクランク状の通路を設けて敵を全方位から攻撃し、そこを突破されたとしても6度折れ曲がって階段を3つ上る通行困難な通路を用意。
さらに天守閣へ行くには、敵を待ち受けるのに絶好の「闇がり通路」という真っ暗な地下通路を通らなければならないという徹底ぶりです。
明治10年(1877)、熊本城は初めて戦いの舞台となります。
鹿児島の不平士族が西郷隆盛を擁して反乱を起こした西南戦争が勃発したのです。薩軍は、熊本城にある熊本鎮台(陸軍)を奪おうと包囲しましたが、司令長官の谷干城は籠城戦を選択。50日以上たっても熊本城は落ちませんでした。
加藤清正が徹底した防御策を講じた熊本城は、築城から270年後にその真価を証明したのです。撤退を余儀なくされた西郷どんは、「おいどんは官軍に負けたのではなか。清正公に負けたんじゃ」とつぶやいたとか。
加藤清正像


2016年4月14日21時26分、M(マグニチュード)6.5の激しい揺れが熊本県と大分県を襲いました。
そしてそのショックもさめやらぬ同月16日1時25分、M7.3の大地震が再び同地方を直撃。これが本震でした。被害は甚大で、住宅被害は全壊12,525棟を含む211,171棟におよんでいます。
熊本県民・市民の誇りである熊本城も、13棟の重要文化財建造物がすべて被災。最も被害が大きかったのは石垣で、約30万個あるといわれる石垣の石のうち、3分の1にあたる約10万個が崩れています。

熊本城の見どころとして挙げられるのが、台地の高低差を生かした高石垣です。熊本城の石垣は、裾がゆるやかなカーブを描き、最上部でほぼ垂直になる「清正流石垣」(「武者返し」とも呼ぶ)が有名です。
城への侵入者を警戒したり、敵を弓矢や鉄砲で狙うための櫓(やぐら)が多いのも熊本城の特徴です。築城時は、一般的な城なら天守に相当する高さの五階櫓が6基、二重櫓や平櫓を含めると全部で66基もの櫓群が林立していたといわれています。

石垣をよく見てみると、大きくて角ばった築石と、それより小さなグリ石に大別できます。石垣は、内側から順に地山→盛土→(小さ目の)グリ石→築石(石垣表面)という構造になっているのです。それを見ると、重機などない時代に石垣を造った昔の石積み職人たちの苦労に思いをはせずにはいられません。

天守閣は2021年3月に完全復旧しました。新たな天守閣は耐震補強やバリアフリーが取り入れられるとともに、展示内容や内装も全面リニューアル。リニューアル後は、築城から西南戦争での天守焼失、地震から復興までの歴史に焦点をあてた展示を行っています。
ただ、城全体が元通りになるのは2052年度の予定で、30年以上かけての復旧になります。完成までに何度か訪れて、天下の名城が再生する姿を見届ける歴史の証人になってみるのも意義深いかもしれません。



世界最大級の大きさを誇るカルデラを有する阿蘇山など雄大な自然を満喫してください。


阿蘇カルデラを形成する外輪山の北に位置し、標高936mの最高峰なので360度の大パノラマを満喫できます。
ここから眺める阿蘇五岳は、左の根子岳が顔、隣の高岳が胸というように仏様が横たわった姿に見えると評判。


雄大な風景を満喫できる南阿蘇鉄道も震災の被害に遭い、長きにわたり一部区間のみ運転しておりましたが、2023年7月より全線運転再開しています。日本一小さい機関車がけん引する観光トロッコ列車「ゆうすげ号」は、運航期間中のみ1日2往復しています。雄大な自然を感じるのんびり旅が大人気!
荒涼とした惑星のような山頂に登ると、エメラルドグリーンの湯だまりから上がる白い噴煙が見えます。阿蘇はいまなお火山活動を行っているのです。
火山ガスの発生状況次第では立ち入り禁止になることもあるので、事前に調べた方がいいでしょう。




まるで天空へ続く道のように見えるのがこの展望所で、ファンタジーノベルに出てきそうな素敵な場所です。ミルクロードと菊池阿蘇スカイラインが交差する場所にあるレストランの裏手にあります。


烏帽子岳の中腹にある広大な草原地帯。四季折々でその姿を変えるので、行くたびに印象が変わるかも。馬に乗って散策するのも楽しそうです。




全体が牧草に覆われた高さ80mのかわいい山は、人工物のような優美な形をしています。頂上に噴火口のなごりの窪みがあることから、元は火山だったことがわかります。


滝の落差は10mほどですが、幅が約20mほどあり、流れ落ちる水がカーテンのような優美な姿を見せています。裏側に回って滝を眺めることもできるので、「裏見の滝」とも言われています。


杉の木が林立する中にある参道には100基近くの苔むした石灯籠が並び、まるで異世界への入り口のようです。社殿後方には『合格・必勝』のご利益があるといわれる「穿戸岩うげといわ」「穿戸岩」もあります。
熊本県、とりわけ阿蘇は豊富な湧水で有名ですが、その中でも最も代表的な水源。吉見神社の境内にあって、毎分60トンと豊富な湧水量を誇り、熊本市内を流れる白川の水源地でもあります。環境省選定の名水百選にも選ばれています。

